Vol.43 夏号
古木 惣一郎さん【長野市】

長野の自然と、家族の愛情に癒されて…
人生とゴルフ場の再生物語

長野国際カントリークラブ(飯綱町牟礼)で、自らお客様を出迎えるのが、総支配人・古木惣一郎さんです。祖父の創業した建設関連会社の後継者であり、若くして莫大な負債の整理を任され、苦闘のなかで実家と同カントリークラブを守り抜いてきました。ようやく経営も安定し、これからはさらに古木さんらしいアイデア溢れる事業展開を行おうと意気込んでいます。

祖父が見初めた ゴルフの別天地

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長野国際カントリークラブは、飯綱・黒姫・妙高の三山を望み、雄大な自然を巧みに生かしたコース設計です。新幹線停車の長野駅から車で30分とアクセスもよく、標高700mのさわやかな高原の大気に満ちています。開場は1973(昭和48)年。古木さんの祖父は、偶然立ち寄ったこの地で、あまりの景観のすばらしさにゴルフ場建設を思い立ちます。すぐにセスナを飛ばして現地調査し、土地の買収を掛けました。
「祖父は大変なゴルフ好きでした。鎌倉・横浜周辺に建設業の拠点を構え、高度経済成長の波にも乗って成功を納めました。その勢いで、ゴルフ場経営に乗り出したのです」
ときは、日本が第二次ゴルフブームを迎えた時代。3コース27ホールの多様性に富んだゴルフコースに加え、宿泊ロッジや練習用施設のあるカントリークラブは大当たりします。さらに霊仙寺湖周辺の別荘地開発事業も手掛けたほどの活況でした。
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26歳、180億円の負債を背負う

古木さんが生まれたのは、開場の前年、クラブを運営する会社が設立された1972(昭和47)年です。実家は鎌倉駅前の一等地にありました。祖父に息子はなく、3人の娘のみ。その長女のもとに、長男として生まれたのが古木さんです。幼いころから、いずれ家や会社を継いでいくものとして育てられました。
1998(平成10)年、カリスマ経営者である祖父が亡くなります。その時初めて、事業の不振と大きな負債が顕在化してきました。2匹目のドジョウを狙って開場した福島のゴルフ場が80億円焦げ付いていたのを始め、総額はなんと180億円に上ります。
これを26歳の古木さんが一身に継承することになります。「今思えば、逃げることもできたのかも。あのときは、自分が継がざるをえないものとして受け止めていました」
祖父が束ねる企業は典型的な同族会社でした。合理的に経営がなされていたわけではなく、役員を務める親戚のなかには負債が表に出る前に、並外れて高額の退職金を手に、離れていった人までいました。
個人で返せるわけもない180億円・・・しばらくは茫然とするほかなかったものの、まずはリストラから手を付けます。親類縁者を含めて40~50人をクビにしました。これは辛い仕事でした。融資を受けている銀行との交渉は、身を削るような困難の連続・・・。どうしたらよいか出口が見えず、孤独で未来を描けない毎日でした。

「幸せな家庭ではなかった」

「鎌倉の一等地に住み、高級車が何台もある家庭に育ちましたが、幸せではなかった」
唯一幸せだったのは、婿である父を含めて核家族4人で暮らした一時期だけ。家族それぞれの事情はあるものの、最も困ったことは、母の宗教への傾倒です。「人には言えないようなことが次々と起こりました。今思えば、お嬢様育ちの母に付け込んで、本来の親子・家族の情を宗教が分断していた・・・」
もちろん、今でこそ言えることで、渦中にあったときに理解できるはずもなく、ただ不条理に苦しむばかりでした。
少年時代には「普通でない家に育ち、自分が常軌を保つにはどうしたらいいのか」と論語など中国の古典や哲学書を読み漁りもしました。負債をおってからは、今までと変わらない富裕な暮らしを続けようとする母や親戚たちのふるまいに悩みました。
「ワンマンな祖父のもと、経営内容は何も知らされず、いざ蓋を開けてみれば借金まみれの状況をどうしても理解できずにいたのでしょう」
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「真心持って接していく」妻と共に

負債を背負って6年後、単年度では黒字になるところまでこぎつけました。このときには、大学で建築を学んだ古木さんは一級建築士の資格を取得し、大学院で経営学も学びました。倒産の危機から脱した経験を買われて、企業再生のコンサルタント的な仕事を手掛けるようにもなっています。
この年、奥様の江奈(みな)さんと結婚。家族関係のことも承知していた江奈さんは、古木さんに「無謀だよ」と言われましたが、「真心を持って接していれば、きっと通じあえる。本物の家族になれる」と信じて二世帯同居に入っていきます。
しかし、その思いは宗教に頼る姑の心に届くことはありませんでした。初めての子どもを妊娠したとき、手渡されたのは宗教がらみの薬。「これを飲まなければ障害児が生まれる」と強く言われました。
そんなことが重なるうち、愛情深い江奈さんも我慢強い古木さんもノイローゼ気味になってしまい、子どもの育つ環境のことを考えてついに別居を決意。
「倒産を防ぎ、鎌倉の土地屋敷を守った。私にできることはここまで。ゴルフ場以外のすべてを放棄し、新天地に旅立つことにしました」
転居は、旅立ちを決めてから、わずか2ヶ月後。幼い子ども2人を抱える江奈さんに無理を言って、長野での新しい暮らしを始めました。2013(平成25)年4月のことです。
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穴だらけのゴルフ場 穴埋めからの再生

「新天地とはいっても、子どものころから祖父に連れられて慣れ親しんだ長野。懐かしい自然が私の心を癒し、再生してくれるのを感じました」
再生したのは、自分自身だけではありませんでした。「コースがあるだけで、サービスも何もない」と感じた長野国際カントリークラブを社長・総支配人として再生しようとします。
まずは、毎朝4時起きして、グリーン上のディボット跡を黙々と埋めました。アイアンショットで芝が削り取られ、穴が開いた状態のまま放置されていたのです。穴だらけのゴルフ場は管理が悪いとみなされます。ディボットを埋めることは、祖父から叩きこまれたことであり、大学在学中に所属したゴルフ部でも常識として実践していたことです。
法人会の会報にゴルフコラムを書き、友人知人も増えるうちに、古木さんに共感したお客様自身がディボット跡を自ら埋めるようになったのはうれしいことでした。
従業員を職種で縦割りにせず、全員が柔軟にお客様に対応するという姿勢に変えていきます。古木さんも外に営業に出る代わりに、来場されたお客様とのコミュニケーションを深めようと、朝のお出迎えを日課にします。
また、外注していたコース管理を自社で行うようにしました。きめ細かい管理が可能になった上、コスト管理も容易になりました。こうした改革を進めるなか、ついてこられない従業員は去り、やる気のある従業員が増えて社内の雰囲気が変わっていきました。
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成長モデルへの挑戦

「今年は雪解けが早くて早い時期からオープンできましたし、皆の頑張りのおかげで、売上も順調に推移しています」
顔をほころばせる古木さんが今、課題としているのはゴルフ人口の減少。そこで、時間とお金に余裕のない若者がゴルフに親しめるように、「早朝ゴルフ」のシステムを続けています。TFTという米国のプログラムを導入して、ジュニア育成にも着手しました。お客様の声を聞いて、様々な取り組みを実施。オープンコンペなども充実させ、いろいろなゴルフスタイルのお客様に多様な選択肢を提供して、ゴルフを楽しんでもらえるように努めています。
また飯綱町の観光協会長を務めていることもあって、観光とゴルフをセットにして訴求したところ、よい反応が出ています。インバウンドの海外客も増えるなか、ゴルフ場内の閉鎖中の宿泊施設をリニューアル開業してほしいという要請も受けて立つ予定です。
「経営者として最初の3年で危機を回避し次の3年で基盤整備に努めました。来年以降の3年は成長モデルへの挑戦です」
古木さんは晴れやかに語っています。
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