Vol.42 春号
田畑 静夫さん【伊那市】

人生100年時代のシニアライフ「人生の楽園、始めます」

昨年4月に教職を定年退職した田畑静夫さんは、堪能な英語や中国語を活かして、通訳やボランティアとして活躍するほか、旧家である自宅の庭や建物を活用して民泊を始めました。国内外の人々との自然体の交流は、本人いわく「人生の楽園」。田畑さんのお宅(母屋)は、ホクシンハウスの南信第1号です。築22年になりますが、今も快適さは新築時と変わらず、2世帯で賑やかにお住まいです。今年、北信商建株式会社は設立40年。4月に社長から会長に就任した相澤英晴が、記念すべき田畑さんのお宅をお訪ねしました。

20年前に暖かな家を求めて 伊那からはるばる長野へ

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久しぶりの再会に、田畑さんと相澤英晴会長は「お互い、変わらないですね~」。確かに、おふたりとも従来のシニアのイメージには遠く、さっそうとした雰囲気を漂わせています。
さて、おふたりの出会いは1995年にさかのぼります。
38歳の田畑さんは奥様・洋子さんと3人の幼いお子さんを連れて、台湾・高雄から帰国したばかり。3年間の日本人学校での勤務を終えて伊那市に戻りました。
アメリカ、イギリス等での滞在経験で「世界の家は家中が暖かいのが当たり前、しかし日本の家はストーブのある部屋しか暖かくない」というグローバルな実体験を得て、本当に暖かな家を建てたいと願いながら、台湾で手に入る日本の住宅雑誌を熱心に見て、ホクシンハウスに狙いを定めていました。
故郷で暮らしをはじめましたが、お父様が建てられた築27年の家はあまりに寒く、切実な思いで、まだ高速道路も整備されていないなか伊那からはるばる長野のホクシンハウス展示場へ車を走らせます。
しかし当時ホクシンハウスは北信地域中心で、南はせいぜい明科まで。南信の伊那では、施工体制ができていませんでした。
相澤会長は一度はお断りしたものの、田畑さんの願いに何とかお応えしたいと、何とか協力会社を見つけ出し「もしまだ間に会うのであれば」と設計プランをお届けします。
何社ものハウスメーカーのプランを検討している最中でしたが「やはり本当に暖かな家を建ててくれるのはホクシンハウス」という気持ちで建築を決めました。
翌年の1996年、ご両親との二世帯住宅として、実家の母屋をホクシンハウスに建て替えました。住み続けること22年、現在は、娘さんご家族との2世帯の暮らしです。3歳と9カ月の2人のお孫さんは、おじいちゃんおばあちゃんに甘えながらスクスクと育っています。
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少人数で温かな交流 農家民泊ならではの楽しさ

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田畑家は、過去帳の記録で確認できる範囲でも13代続く旧家。広い敷地のなかに、見事な枝ぶりの樹齢400年の松、大正時代に建てられた蔵、離れなどがあります。目の前に中央アルプスを望み、周囲には美しい田園風景が広がります。
2年前にお父様が亡くなったのを機に、離れを改修して始めたのが民泊です。地名にちなんで「富県塾(簡易宿泊所)」と名付けました。おもに伊那市観光協会からの紹介で、お客様を受け入れています。その第一号は昨年10月東京・新宿区の小学校の修学旅行。農家体験として2泊3日、一度に4~5人が分宿します。夕食は必ず一緒に作るので、お互いに親しさが深まります。
田畑さんは英検1級と通訳ガイドの資格を持ち、洋子さんは英語の教師。ともに台湾で仕込んだ中国語も堪能なので、外国人のお客様も紹介されてきます。
インバウンド(外国人誘客)が盛んな現在、人気の東京・京都・富士山のほか、自然の美しさや「ふるさとの原風景」を求めて、長野県にも大勢の外国人が訪れています。田畑さんは英語圏のみならず、フランスやイスラエルから夫婦やファミリーを受け入れたことも。もちろん中国からも多数。密度の濃い交流になるだけに、言葉が通じることは大きなポイントです。
面白いエピソードを伺うと、「中国の人は、日本のカレーとラーメンが大好き。特に市販のカレールーには驚くようで、写真を撮ったり、どこで売っているのかと聞いてきたり、盛り上がります」
中国の修学旅行生を受け入れたときには、驚きました。「包丁は使えないし、玉ねぎをどこまで剥いたらいいのかと聞いてくる。彼らは恵まれた家庭に育ち、1日3時間は勉強するが、台所へは入ったことがないと言うんです。うちでのカレー作りは、かなり新鮮だったようです」
 邸内はWiFiフリーに設備してあるので、子どもたちはその新鮮な体験をうれしそうに親たちへスマホで送信。
 「いや、もう楽しいですよ。民泊を始めて人生の楽園を見つけた思いです」
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体育科卒の英語教師

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田畑さんが教員になったのは、親の強いすすめから。大学は教育学部体育科に入学したものの、英語で身を立てたいという中学生時代からの思いは変わらず、卒業時には英語の教員資格も取得しています。
英語通訳の資格を持つ人のアドバイスでモルモン教会の無料講座に毎週通い、アルバイトで貯めたお金で英国ブライトンへ語学留学するなどの努力の成果でした。教職についてからは、中・高の教員、教育事務所、台湾の日本人学校などで働き、激務の 時には中断もしながらも、英会話の力を磨き続けます。当時は英検1級より難しいとも言われた通訳ガイド資格には31歳で合格。しかし、長年、目標としてきた英検1級には、50歳を目前にようやく合格に至りました。
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その長きにわたるチャレンジは、「体育科卒の英語教師」(日本文学館)という自著にまとめました。はじめに、「『英語の神様』が、私がずっと英語にかかわれるように、なかなか上達しないように配慮して下ったのだと感謝している」と述べています。
英検1級をとると決めた決心が強かったと言いますが、30年近くもあきらめず、初心を忘れず、成し遂げるのは並大抵ではありません。退職後の今を「人生の楽園」と言う背景には、そんな努力がありました。2年後の東京オリンピックの際には、通訳ボランティアとして貢献しようと楽しみにしている田畑さんです。

ユーザー様がユーザー様を紹介
ホクシンハウスの輪が広がる

「40年前に手探りで会社を立ち上げ、床下の暖房機1台で家じゅうが暖かい独自のFB工法を始めて30年になります。田畑さんが訪ねて来られた頃は社員十数人の会社でしたが、今では社員数も100名を超える企業に成長し、伊那展示場をはじめ県下8カ所に展示場、1カ所の研究棟を展開しています。22年まえの田畑さんのお宅を皮切りに南信地域への進出も進んだんですよ」
感謝の面持ちで話す相澤会長に、「実はわが家を気に入って、ホクシンで家を建てたいという友人がいて・・・」と紹介する奥様の洋子さん。友人に頼まれているからと、その場で、スマホを通して社長を友人に引き合わせました。あまりのタイミングに、相澤会長も驚くやら感激するやら。こうして、またホクシンファンの輪が広がってゆきます。