vol.38 春号
阿部 好正さん【安曇野市】

安曇野の地より福島へ、亡き院長の思いをつないで

福島原発事故から5年。福島県双葉郡広野町にある高野病院は、事故直後も避難することなく、双葉郡唯一の病院として地域医療の拠点となってきました。同院にこの4月から院長として赴任するのが阿部好正さんです。3年前、憧れの地・安曇野にホクシンハウスの新居を構えたばかりです。出発直前の3月下旬、福島に至る思いをお聞きしました。

憧れの安曇野、至福の暮らし

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引っ越し荷物の段ボールを脇に、愛犬のモモちゃん、ココちゃんと遊ぶ阿部さん。
「この家は住めば住むほど快適です。妻が食事の支度をする間、テーブルで読書をするのが私の至福のときです」
首都圏で育ち、杏林大学を卒業して小児科医となった阿部さん。長く臨床の現場で働き、年齢を重ねてからは行政医として長野県の要職を務めています。
両親は伊那の出身。子どものころから夏休みのたびに祖父母の家で過ごし、いずれは長野県に永住したいと願ってきました。夫婦そろって山歩きが趣味で、たびたび北アルプス周辺を訪れるうちに、安曇野を永住の地と定め60歳を機にホクシンハウスで自宅を建てます。2人の子どもは独立し、これからは夫婦2人で愛犬と共に豊かな時間を過ごしたいと願っていたところです。新築後に他県への赴任もあり、ようやく安曇野のわが家に落ち着いてまだ1年半にしかなりません。
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原発から22キロあえて避難せず

高野病院は、故・高野英男院長が昭和55年に開設した民間病院です。平成12年には療養病棟を、平成14年には精神科療養病棟を増改築し、高齢化の進む地域医療のニーズにも対応してきました。しかし、どこの地方でもそうであるように、医師不足は深刻でした。
平成23年3月11日、東日本大震災に伴い原発事故発生。高野病院は高台にあるために津波の被害には遭いませんでしたが、原発からわずか22キロ。汚染地域として避難の行政命令が出されます。
しかし、高野院長はがんとして広野町を動かず、残った職員と共に入院患者を守り診療を続けます。
重症患者は何時間もバスで移動することには耐えられない、歩くのさえ辛い高齢患者に負担を強いる、家族と引き離される不安が大きい、まして認知症ならば環境の激変は症状を悪化させる――。近隣の病院が患者を移送し次々と避難していくなか「避難せず」は真に患者の立場に立った勇気ある判断でした。
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報道番組で病院の窮状を知る

近隣の医療機関が避難してゆくなか、双葉郡で唯一の病院となった同院。約3000人の住民に、復興関連の作業で滞在する人が約3000人で、診療圏の人口は6000人近くになります。しかも約100人の入院患者を抱える同院の常勤医は、高野院長ひとりになっていました。81歳で当直を行う超人的な老院長と、杏林大学をはじめとする非常勤医の奮闘が地域医療を支えていたのです。
こうした事実を阿部さんが知ったのは、たまたま見たNHKの報道番組、昨年10月8日に放送された「ETV特集 原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」です。
阿部さんは30数年前、高野病院の日直当直の業務に携わったことがあります。また、同窓の親しい友人が院長の甥で、院長の片腕として働いてもいました。
「彼はよくうちに勝手に上がり込んで、ご飯を食べていました。それくらいの仲でした。20年ほど前、ある日、彼から博士号取得の試験に受かったと電話があり、すごくうれしかったんです。ところが、翌日、心臓発作で亡くなってしまいました」
院長の地域医療への共感、亡き友人への思いが胸にこみ上げ、「どうしても高野院長のお手伝いに行きたい」。
まずは上司に相談しますが、即断せずに1ヶ月様子を見るようにと諭されます。
12月初旬になってから、院長の次女で同院理事長の高野己保さんに「常勤で高野院長のお手伝いをさせていただきたい」と意思を伝えました。期間は、高野先生が病院経営に白旗を挙げるか、よりふさわしい常勤の先生がみえるまでの間と付け加えました。
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81歳院長、自宅の火事で急逝

12月30日深夜、事件は起こります。いつでも病院に駆けつけられるように、敷地内の住宅で独り暮らしをしていた院長が火事で急逝。あまりのショックに呆然としていると、高野理事長から「もう、高野病院に来てくださることは、考えていらっしゃらないでしょうか」とこちらを気遣う電話がありました。理事長は亡き友人の従妹で彼の思い出を語り合うことができる人でもあります。これは院長亡きあと、福島に向かうモチベーションのひとつなりました。
震災後も一日も休まず孤軍奮闘してきた院長の焼死はマスコミで大きく報道され、
広野町町長を会長とする「高野病院を支援する会」も立ち上がります。周辺の病院やボランティア医師、以前から医師派遣してきた杏林大学のさらなる支援により、何とか1月の診療は続けられました。阿部さんは早い時期に県を辞し、同院へ行きたいと上司に直談判しますが、行政としてそれは難しいことも承知していました。
幸い、都内の病院勤務の若手外科医が、2月3月だけ院長・常勤医として手を挙げます。4月に福島県郡山市の病院に勤務することが決まっており、2ヶ月早く元の勤務先を辞して来てくれたのです。

病院管理者として福島・広野町の高野病院の存続と地域医療に尽くす

4月着任のめどが立っても、まだわずかに迷いがありました。内科と精神科が中心の高野病院に、小児科医の自分が院長として赴くのはどうなのか。診療科目に関係なく、全科当直が当たり前の時代に医師研修を受けてきたので、臨床的には問題はありません。むしろ、管理者として病院をまとめ、行政や関係機関に働きかけて病院の存続を図っていくのが、高野院長の遺志を継いで地域医療に尽くすことになるのではないか。
すでに福島県立医大から「あなたが来てくれることを前提に、内科医を常勤で派遣します」と申し出を受けており、4月からは常勤医師は2人になります。精神科医の派遣も決まり、新たな診療体制でのスタートです。もともと行政は、民間の高野病院が独自に院長を採用すれば支援するというスタンスをとっていました。
ところで、現在、全国的に小児科医が不足していることはご存知でしょうか。日本小児科学会誌でも、福島県の被災地復興のための小児科医の募集がされていたそうです。
「常勤・非常勤の先生方と力を合わせて診療を行い、管理者として院内外をまとめ、それに加えて高野病院は小児科がないので院内では内科医として、院外の諸施設では小児科専門医として地域医療に尽くすことができればと思います」
「避難している方たちに、この地に安心して帰ってきてもらいたい。帰還する人たちを迎え入れるためにも努力したいと思います」

住む人の長期不在に備えるには

阿部さんの気掛かりは、留守宅になるわが家の管理。賃貸に出せば収入にもなり家も管理されますが、賃貸は考えていません。
「福島に赴くにあたり、心のよりどころとして、わが家をいつでも使えるようにしておきたいんです」
そうはいっても、これからの重責を思えば、安曇野の家を別荘として利用できるほど頻繁に戻れるとも思えません。数ヶ月に一度は戻りたいけれど、半年1年と戻れない可能性も高いと言います。
「わが家を知り抜いたホクシンハウスさんに、フォローをお任せしたいというのが私の気持ちです。海外出張や高齢化で住む人が長く不在になるケースは今後珍しくないでしょうから、よき先例になれれば…」
「家は人が住まなくなると早く傷むと言われますが、これは人が住むことで家の空気が入れ替わるからです。FB工法は家全体が深呼吸されるよう換気されているのでどんなに留守にしても安心なんです。ただ冬床下の暖房をどうするか、ホクシンハウスと検討中です」とのお考えもお話いただきました。
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