vol.37新年号
小林 学さん・小林 周(めぐる)さん【長野市/千曲市】

父が起業し、息子と共に業容拡大 創業期を乗り越えて右肩上がりに

今回ご紹介するのは、電気設備を手掛ける株式会社KDKの社長・小林 学さんとご子息で副社長の小林 周(めぐる)さんです。2000年に3人で創業し、今では社員30人弱。基本的に工事は外注ではなく社員が行う堅実な経営が評価されて、着実に業容を伸ばしています。

49歳で創業、電気設備のKDK

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小林学さんが、株式会社KDKを立ち上げたのは2000年、49歳のとき。長年、JR東海で新幹線の電気関係の仕事に携わり、41歳で故郷に戻ってきました。「ちょうど1998年の長野冬季オリンピックに向けて、新幹線や高速道路が整備され、長野が大きく変貌を遂げようとする時期でした」
いずれ自分の会社を立ち上げようという思いを胸に、既存の企業で役員として迎え入れられて働きます。JR東海時代に、官庁や電力会社との折衝を経験してきましたが起業の前に地元の状況を把握する必要があると考えたのです。8年後、前の会社からついてきてくれた技術者2人とともに、たった3人で株式会社KDKはスタートします。
KDKは環境・電気・工事のローマ字表記の頭文字を取ったもの。”地球環境を大切に”をテーマに、電気工事に取り組みたいという思いを表しました。
最初はゼロからの出発。入札にも参加できず、下請け仕事からでしたが、技術力が評価され、実績を積み上げながら徐々に元請けとなっていきます。現在、仕事のメインは高速道路関係。照明、配電、ETC、監視カメラなど電気工事の設計・施工・管理のほか、自社発電所も稼働中。コンビニ店舗運営や首都圏での土地活用など多角化も図っています。
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基本は直営施工。信頼され、社員が働きやすい

創業の苦労をうかがおうとすると、「うちの仕事は営業的にはラクなんですよ」
高速道路や工場などの電気設備は、誰でも手掛けられるものではなく、一定の評価を得れば、依頼主から声が掛かるのだそうです。あるいは人づてに紹介されることもしばしば。実際、現在、営業的な役割をすることもあるのは社長と副社長で、社員は事務担当以外はすべてが技術者です。
工事・建築関係の業界では、社員は代人(現場監督)だけで現場の技術者や職人は、すべて下請け・外注というスタイルが一般的です。代人さえも下請けで、丸投げということもあります。それをKDKでは、現場で働く技術者は基本的に社員。技術が社内に蓄積し、クライアントからの信用が深まり値引き競争に走る必要もなくなります。
外注を減らし直営施工するという、業界の常識とは反対のやり方は、社員の働きやすさにもつながりました。腕は確かだけれど現状に満足していない技術者が、友人のKDK社員の話を聞いて入社したいと来るケースも珍しくないそうです。
「企画や管理ひと筋で、資格は持っているものの現場仕事はしてきませんでした。社長の私が変に技術者ぶらないところが、現場の技術者にとってはやりやすいのかもしれませんね」

息子への事業継承の思い

業から17年。バブル崩壊後の沈静化した経済環境のなか、入札制度も見直されていく中で、新規参入のチャンスをつかめたと言います。初期には詐欺に巻き込まれたこともありましたが、大きな被害になる前に気づくことができました。
「ゼロからのスタートでしたが、時代背景が味方するなかで、うまく潜り抜けて来られました」
そういう小林社長に、子息である副社長へのメッセージを伺いました。
「私と競争するのではなく、無理せず地道にやってください」
現在65歳。経営基盤が定まった今も、朝7時には家を出て、帰宅は午後9時前後。3年後に副社長が40歳になるのをめどに、社長職を譲ろうと考えています。

22歳、トンネル現場で逃げて帰ろうと思った

副社長の小林周さんは、日大法学部卒業後すぐに22歳で、KDKに入社しました。2代目とはいえ、創業3年目からKDKを支えてきたことになります。
「まだ、事務職を含めて社長以下5人。どうなるかもわからない会社でしたけれど、5年後を見据えてやってみようと思いました」
ところがその決心は、初日にぐらつきます。行けと言われて行った先は、佐久のトンネルの中。下請け仕事の電気・消防設備のメンテナンスです。吹きっさらしの寒風のなか、長時間の汚れ仕事・・・これからこういう仕事をやるのかとショックを受けました。
それでも、そのトンネルの仕事に携わること2年。今振り返れば、それは会社の礎となる仕事でもありました。
次の仕事は店舗の電気工事。やったことのない仕事でしたが「え、できないの?」と言われると「できます」と言ってしまう性分。「できるわけがないけれど、社長の息子としては現場の周りの人に聞くわけにもいかない。誰も助けてくれないなか、自分で調べてやり遂げるしかなかったんです」
こうして休みなく仕事に没頭しながら必要な資格を取り、経験を積んで、周さんは大きく成長。5年後には仕事を受注してくるようになります。一つ仕事が取れるとそれが自信になり、数万数十万の仕事から始めて、今では数億円の仕事も受注するようになりました。

お客様の満足を第一に

小林周さんの開拓したKDKのお得意様より、ホクシンハウスの相澤社長の耳には、こんな話が入ってきました。
長野駅前の古いビルで水漏れがあり、地下に水が溜まりました。テナントに迷惑を掛けまいとオーナーは、あちこちに救援を頼みますがらちがあかない。そこへ排水ポンプを持って駆け付けたのが周さん。周さんは水漏れによる問題が大きくならないよう懸命に処置をする中で、バケツの代用に使っていた缶のフチでざっくりと手を切ってしまいます。しかし、その傷を工事用のビニールテープでふさいで仕事を続行。その姿に感銘を受けたと、オーナーが相澤社長に話しました。
「そのオーナーさんとは、今もいいお付き合いをさせていただいています。お客さんの困りごとをまず解決する。そうしていれば、信頼関係ができ、業績もついてきます」
周さんは「守りに入ると衰退していく」として、事業展開を進めてきました。「たとえうまくいかなくて撤退することになったとしても、その経験値は必ず生きて来る」
消防関係の事業は6年前に始めて、現在では主要事業のひとつになっています。また、8年前に始めた土木工事は、土木だけでなくその先の電気や水道の設備もやれる業者として認められています。「電気を入り口に、関連してくる分野を任せられる多能工が必要とされておりシェアも上がっています」
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苦労を重ねて今がある

周さんは、奥様の恵吏さんと23、4歳の時に知り合っていますが「会社の行く末もわからない上に給料もひどい安月給。しかも自分は仕事で精一杯。とても結婚するわけにはいかなかった」と振り返ります。会社の仕事が順調に軌道に乗ってきた今、2年前にようやく結婚に至ったとのことです。同時にホクシンハウスで新居も建てました。
奥様にはこんなエピソードも。KDKがコンビニエンスストアの事業を立ち上げる頃に“社員は厚遇するけれど、身内には厳しい”という小林学社長が店長代理に抜擢したのは恵吏さん。それまでのホテルのフロント勤務を辞め、初めての経験ながら、アルバイト教育から在庫管理まで孤軍奮戦。まさに身を呈して経営体制をつくってくれた、とのことです。
コンビニの方もようやく人に任せられる状態になり、恵吏さんは興味のあったインテリアやエクステリアなど自らのDIYでプチリフォームを楽しんでいます。ディズニーランドの内外装にも用いられている『モルタル造形』(特殊なモルタルを使用して自然石やレンガ、大理石などの質感を表現する技法)にも興味をもち勉強を続けているとのことで、ご自宅のエクステリアにも活かされていくことでしょう。恵吏さんの習得した『モルタル造形』は趣味の領域を越えKDKの新しい事業領域になるかもしれません。
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変わらぬ“暖かさ”をつなげて

お父様の小林学さんのお宅は、1994年の竣工。20年以上を経ているのに2年前に新築した周さんのお宅と変わらない快適さ。ホクシンハウスの“暖かさ”が劣化しないことを身をもって感じました。小林さんの新築以来、子息の周さんを含めて親戚筋で5軒ものホクシンハウスが建ちました。ホクシンハウスで育った子供たちが、またホクシンハウスで家を建てる。そんな循環が始まっています。