Vol.34春号
相原文哉さん【長野市】

古建築に匠の技と祈りの心を見る

相原文哉さんは、長野市伝統環境保存審議会会長や須坂市文化財審議委員を務めています。
社寺建築研究家として知られ、カルチャーセンターの人気講師でもあります。現場をよく観察し、それを作った匠の技や、そこに秘められた人々の心を読み解く相原さん。歴史ロマンをわかりやすく解説する姿に、ファンが少なくありません。

善光寺本堂の地震柱のねじれは地震のせいではない?

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突然ですが、国宝善光寺の向拝(ごはい)柱が礎石から大きくねじれていることをご存知でしょうか。特に、本堂の東側の向拝柱が大きくねじれて「地震柱」と呼ばれています。江戸時代後期の弘化4年(1847年)の大地震でねじれたと教えられた方も多いでしょう。しかし今では、それは木材の乾燥によるねじれであり、技術者たちがあえて予測したねじれであるという設が定着してきました。これを見抜いたのが、相原さんです。
本堂は宝永4年(1707年)に再建されたものです。本来なら十分乾燥させた用材を使うべきです。しかし、元禄13年(1700年)に用材が焼失してしまい、1703年に、木材を再び集めて十分に乾燥する年月もなく使ったことがわかっています。
「太い柱を十分乾燥させずに使えば、必ず狂いが出ます。2本ずつ対になっている向拝柱が不規則ににねじれを起こせば、建物自体に被害が起きます。そこで江戸時代の匠たちは、その木材の癖や性質を読み、ねじれの方向が逆回転となるように組み合わせて2本1対の木材を選定したのです」
ねじれの方向が逆回転なので、その回転力は相殺されます。
「したがって、弘化4年の大地震による“ねじれ(狂い)”ではありません。実は、生材を使わざるを得ない厳しい状況のなかで、木材の性質を見極めて配した匠たちの知恵と技術の結果であり、この“ねじれ”が本堂を守ってきたのです」

善光寺仁王像の謎を解く

まだ発見はたくさんあるのですが、もうひとつだけご紹介しましょう。お寺を守る仁王像は、口を開いた阿形(あぎょう)像と口を閉じた吽形(うんぎょう)像が対になっていますが、通常は向かって右が阿形像左が吽形像の配置です。ところが、善光寺の仁王像は全国でも非常に珍しい逆配置なのです。
「不思議な配置にはどんな意味があるのか、日射をヒントに考えてみました」
一般的な仁王門では通路側が板壁になっていて、像の側面は見えません。善光寺ではその壁がないので、通路から像が見え、さらに冬期の朝夕の日射も入ります。
相原さんの推測はこうです。
「物事の初めを意味する阿形像が左(西)にあるのは、1日の始まりである日の出を通路側から阿形像に当てるためではないか。一方、物事の終わりを意味する吽形像は右(東)にあり、夕日を当てるのではないか。そして、太陽の高度が低く、南側に寄る冬至には、仁王像の顔まで朝日と夕日の日射が当たるのではないか。これが、まさに一陽来復。陰陽の考え方では陰が極まって昼の時間が最も短い冬至。この日を境に日のエネルギーが復活し、昼の時間も長くなります。農耕社会では非常に大切な節目の日です。この日、1年に一度だけ日の出と日の入りの日射を仁王像の顔に当たるように配置して、一陽来復にあやかって善光寺や、善光寺界隈の反映と幸福を祈ったのではないか」

一陽来復の冬至、仁王像の顔を朝日と夕日が照らす

仮説を立てたものの、それを検証してみなくてはなりません。平成元年、冬至の1週間前に、相原さんは市民新聞にこの仮説を発表。当日は50人ほどが集まり、かたずをのんで見守るなか、冬至の朝日が西の阿形像の肩から顔を神々しく照らしました。午前7時25分、その瞬間、わっと歓声が上がりました。さらに午後3時40分頃から、夕日が東の吽形像の顔を赤々と照らしました。まさに相原さんの仮説どおりでした。
「99パーセント自信はあったのですが、それでも心配でした。周りに高い山がなくて高台という立地ですが、仁王門の角度が少しでもずれていれば、予想通りにはいきませんから。検証できたことで、むしろ匠たちの読みの深さ、見事な知恵を技にあらためて感動しました」
現在も、冬至には1年に一度の瞬間を狙って、仁王像前にはカメラを手にした人が大勢集まっています。
「善光寺の匠たちのストーリーをもっと皆さんに知っていただきたい。観光客の方々にも伝えることができれば、もっと喜んでもらえるのではないでしょうか」
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絵でわかりやすく伝える

相原さんは横浜国立大学工学部で建築学や建築史を学びました。卒業後は、長野工業高校で建築科の教師として長く教鞭を執り、ホクシンハウスの相澤社長、渡辺専務、大内開発室長の長野工業高校在学時の担任でもありました。教師を務めるかたわら全国の寺社・仏像を巡り続け、それは今も続いています。
定年後、現在は長野県カルチャーセンターで月1回「古寺・古仏を楽しむ」という講座を開講。60人ほどの生徒が集まり、カルチャーセンターでも一、二を争う人気講座になっています。
著作としては『善光寺大紀行』(田中欣一責任編集・一草舎)の中で「善光寺本堂の造営」を執筆担当しました。その他にも多数の著書があります。
相原さんの強みは、絵心があること。解説だけではなく、自ら描く絵や見取り図でよりわかりやすく伝えます。カルチャーセンターの講座でも、自ら描いた絵を多用します。
「写真では強調したい部分がわかりにくいですし、スライドでは印象に残らない。手書きの絵ならではのわかりやすさが、記憶に残ります」
実は美術大学に進学したかったというほど絵を描くのが好きで、切り絵や水彩画、ボールペン画などを手掛けています。
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地域の古社寺・古仏を大切に

「長野には、身近なところに古建築や古仏が多数あります。でも、それが何か、何を意味して作られているのか、地元の人でもまだ知らないことがあります」
相原さんは、篠ノ井の有志の方々と共に古建築調査を行い、長野市民新聞に「篠ノ井の古建築」というシリーズの連載を行っています。たとえば、同誌3月15日付によると、相原さんは信里・青池諏訪神社の本殿に、中国の故事にちなんだ「許由(きょうう)と巣父(そうほ)」の彫刻を発見。高潔の士が俗世の栄華を汚いものとして避けることを象徴した話で、織田信長がその居城安土城の天守閣に描かせたものと同じ図柄です。
「そんな故事がここに彫刻されていることに驚きました。社を建立した住民たちの意識が高かったに違いありません。そうしたことがわかってくれば、今まで見落としていたものが、がぜん価値のあるものに見えてくるはずです。先祖が遺した文化遺産を大切に保存していただきたいという思いで皆さんにお伝えしているのです」

次男のために「歯科クリニック」を長野市に建設

昨年4月に、ホクシンハウスのFB工法による「ゆずのき歯科クリニック」が長野駅東口近くに完成。オープンしました。
若き院長は、相原さんの次男・相原俊武さんです。名古屋で十数年勤務し、郷里に戻って独立するにあたり、相原さんはその思いを汲んで応援しました。一人一人が個室で診療を受けられるスペースが確保されており、子連れのママも気兼ねなく治療が受けられる特別室も設けました。患者さんへの優しい心遣いが感じられる設計です。
「院長である息子のこだわりを実現した建物になり大満足です。道路側の側面は樹木と越のバランスが絶妙で、和の雰囲気が感じられるのが私も気に入っています」
社寺建築研究家の相原さんを満足させるセンスのよい医院建築と豊富な植え込みが、街の景観を高めています。
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