Vol.33新年号
塚田悠碩さん【長野市】

小さな子どもから恒例の方々まで 書の道を弟子たちと共に歩んで

平成17年にホクシンハウスで二世帯住宅を建て、家族7人でにぎやかに暮らす塚田豊(みのる)さん。
悠碩(ゆうせき)という雅号を持ち、書道研究会・誠慎会を主催しています。30年以上も県展の審査員を務めるなど書道界の重鎮であり、多くの弟子を育ててきました。「この先生になら、書を習ってみたい」という温かな魅力をお持ちです。書について人生について、お話を伺います。

弟子への思いやりがあふれ 賑わう書道教室

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夕方5時過ぎ、墨の香りが漂う教室内は子どもたちでいっぱい。机が空くのを待っている子どももいます。また、お母さんと子ども2人で通ってきて、書の稽古のあと満足気に帰っていく親子もいます。少子化や書道離れが言われる昨今、ここだけは別世界です。もう少し、遅い時間になると、大人が多くなるそうです。
塚田悠碩さんは2か所の書道教室でおよそ130人に上る弟子を持ち、そのほかに、請われて老人大学など地域の人々にも教えています。今まで10人以上のもの師範・準師範を育て、孫弟子の数は数えきれないほど。
80歳を越えた今も、長野県書道展や北日本書芸院などの役員・審査員を務めています。「忙しくて、年寄りやっている暇がないんだよ」と笑う塚田さん。
その忙しさの中でも、毎年、自分で考案した人生訓一枚一枚自筆でしたためたカレンダーを弟子たちに贈ります。
また、還暦と古稀を迎える弟子には、記念の額を贈呈します。還暦の福禄寿の書には、字体を変えて60の「福」の文字、古稀の祝古稀の書には字体を変えて70の「寿」の文字。味わい深く、寿ぎの気持ちが伝わってきます。お弟子さんたちはさぞ喜ばれるでしょうと尋ねると、「いや~、長年続けているので、みんなもらうのが当たり前と思っているんじゃないですか」と、塚田さんは笑わせます。
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ウイスキー「竹鶴」とのご縁

平成27年3月末まで半年間放送されたNHKの朝の連続ドラマ「マッサン」。そのモデルとなったのが、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝とその妻リタであることは、よく知られています。同社では「竹鶴」の名を冠したピュアモルトウイスキーを販売し特に「竹鶴17」は平成27年も前年と連続でウイスキーの政界最高賞を受賞しています。
さて、そのラベルの「竹鶴」の文字は、塚田さんの筆になるものです。平成13年に個展を開いた際、塚田さんの書が商品企画担当者の目に留まることになります。
「すっきりとして、誰にもわかりやすい、それでいて力強さを秘めた文字を探していたと言われました。ウイスキーのイメージを伝える文字を探していたのでしょうか」
その後、「マッサン」ブームもあって、塚田さんの書も知られるようになっていきます。平成27年1月、河北省の省長を筆頭にした代表団が長野県を訪れました。その「長野県河北省友好提携30周年記念レセプション」では、長野県からの記念品として「竹鶴」の色紙が贈られました。
「日中友好協会の関係で頼まれてね。書のルーツとも言える国ですから、喜んでいただけたと思います」
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「まともに字も書けないのか」

そもそも、旧戸隠村出身の塚田さんが書を始めたのは23歳ころ。国鉄で機関士として働いていました。長く村の議員を務め、議長にも選ばれた父に、あるとき「なんだ学校を出ても字もまともに書けないのか」と言われて発奮。ちょうど木曽に転勤になり、時間の余裕ができたこともあって、近所の寺で手ほどきを受けました。
始めてみると意外に面白く、時間を見つけては書に打ち込みます。32歳の時には北日本書芸院師範に合格。国鉄勤務のかたわら、書を教えるようになります。ここまでほぼ独学で、長野県書道展の特選に選ばれるほどになりました。
さらに全国レベルをめざし、名古屋の書家・中野蘭疇氏に師事。腕を上げて、日展や中日展、毎日展に入選を果たしました。弟子も増え、40歳手前で、広い教室を備えた自宅も新築。すべてが順風満帆に見えた49歳のとき、転機が訪れます。
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入院のベッドの上で反省 人生観が変わる

「突然、劇症肝炎にかかり、2日間は昏睡状態で何も記憶がありません」
命が助かる確率は1割と言われるなか、奥様が毎日シジミを煮詰めてエキスを作り、病院へと運びました。「おかげで命拾いしたと思っています」
大雪が降ったときで、塚田さんは通常勤務の上にラッセル車で除雪作業。展覧会の審査も重なり、身体に無理をさせていました。
「もっとも、当時はよく権堂で飲み歩き、10時前に帰宅すると『今日はどうしたの。具合でも悪いの』と女房に言われる生活だったんです。病院のベッドの上で、反省しました。これではいけないと」
ほぼ寝たきりの3か月間を含め、入院生活は半年に及びます。「人間、安心すると気がたるむ」と考えた塚田さんは2軒目の家を建てようと決めました。1軒めの家のローンを10年間で完済したところで、その安心感から権堂で飲み歩くようになったのではないかと考えたのです。
「変わったのは飲み歩く生活態度だけではなく、性格も変わりました。『先生、辛抱強くなったね。怒らなくなった』と言われました」
神経質で怒りっぽい性格でしたが、大病を乗り越えて、たいていのことは「ケセラセラ」。なるようになるさと、大様に受け止められるようになっていました。
このころ、もう一つ、大きな変化がありました。長年勤めた国鉄を50歳で退職。国鉄民営化を前に、「二君に仕えず」の思いで職場を去り、書道ひと筋に生きていくことにしたのです。
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妻に暖かい家を 3度目の新築を果たす

入院中から新たな構想を練った自宅兼教室は、別の場所に翌年実現。新たなローンを抱えての2軒目の新築でした。こちらは現在も教室として使用しています。
その後、最初に建てた自宅兼教室が老朽化し、建て替えることになりました。
「70歳を前に、あと10年は生きるだろうと思ってね、一番の理由は、リウマチを患っている女房を暖かい家で過ごさせてやりたくて」
探し当てたのがホクシンハウスでした。今、築10年を過ぎて、その快適さは全く変わらないと言います。教室に通ってくる弟子たちにも、この暖かさは好評。「寒い季節でも書に集中できる」「大勢の子どもたちがいても、火の気がないので安心」と喜ばれています。
塚田さんには3人のお子さんがあり、長男は東京で事業を営んでいます。現在は、長女、次女の夫婦と子供2人、塚田さん夫婦の7人暮らしです。
「費用は次女の婿さんが半分担ってくれていますが、私も借金を残して死ぬわけにはいきません。66歳で個展を開き、作品集を作ったのが、『竹鶴』のご縁にもつながりました」
平成5年には、善光寺大勧進の三浦義薫大僧正の墓石を揮毫する名誉にも浴しています。こうして筆名が高まり、作品が順調な売れ行きだったので、人生3度目の住宅ローンも今はすっかり完済。
「80歳まで生きりゃいいやと、家を建てた。そしたらもう80歳過ぎてしまった。この家に住むと寿命が延びるのかな。困りましたね~(笑)」お弟子さんにも80代の方は大勢いて、30年40年のお付き合い。子どもたちを含め皆が塚田さんの指導をいつまでも仰ぎたいと願っています。
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誠慎会 書道教室
塚田悠碩さん(県展審査員・北日本書芸院常住総務)の書道教室です。
漢字、かな、ペン字、細字、手紙文、各種展覧会の指導が受けられます。
練習日:水・木 午後2時〜8時
住所:長野市吉田5-13-17
電話:026-243-0396