Vol.31夏号
中島 聰さん【小布施町】

父祖伝来の小布施の地で豊かに賑わう3世代家族の暮らし

小布施の緑豊かな田園風景のなか、中島聰さんは二世帯住宅で長男家族と、次男家族も同じ敷地内で暮らしています。ダイニングは一家10人が揃って会食できるようにしつらえました。普段は個々の生活を尊重しつつ、細やかに交流。信州ならでは、小布施ならではの豊かな暮らしを営む家族のストーリーをお聞きします。

雁田山を借景にたたずむ邸宅

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北斎と街並修景で名高い小布施は、その里山景観の美しさも人を魅了します。雁田山の山すそ、おぶせ藤岡牧夫美術館から浄光寺にかけて遊歩道の整備された田園地帯のなかに中島聰さんのお宅はあります。雁田山を借景にした見事な庭園、母屋や車庫までも統一感を持って和の趣でデザインされ、小布施の里山の豊かさを象徴するような邸宅です。
その周囲には、栗、柿、プルーン、梅、ブルーベリー、あんず、さくらんぼ、ぶどうなど果樹が植えられて、季節ごとの実りが暮らしを彩ります。まさに田園生活の愉しみでしょうか。
この邸宅の1階に中島さん夫婦、2階に長男家族4人、さらに、同じ敷地内の別棟に次男家族4人が暮らします。つまり、中島さんは家族10人が付かず離れず、共に暮らしていることになります。核家族や独居が増えるなか、周囲もうらやむご家族です。
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祖父・父・息子、それぞれの時代

中島家は、墓碑でわかる範囲でも聰さんで9代目。代々、この地で農業を営んできました。先代はリンゴの国光を栽培し、戦後は作りさえすれば飛ぶように売れていたそうです。昭和35年ごろから、リンゴは品種改良でフジに人気が集まり、ブドウは巨峰の時代になります。先代が選んだのは巨峰。当初は栽培に苦労しましたが、最盛期には1町歩を越えるほど栽培していました。
中島さんは昭和21年生まれ。大学へ進学する人も珍しくない時代となり、慶應義塾大学へ。高度経済成長のただなか、就職は3年生の3月には一流企業に内定。しかし父は「長男なんだから帰ってこい」。「全国的な企業で力を試したい」という気持を振り捨て、45年に地元の金融機関に就職しました。以来、40年間勤め上げて、役員にまで昇りつめて定年。その後、町から要請を受けて小布施町教育委員会の教育委員、教育委員長を務め、平成27年4月の新教育委員会制度により、現在は教育長として活躍しています。
中島さんのご子息2人も大学卒業後に、それぞれ長野と須坂を拠点とする企業に就職しました。結婚してそれぞれ男の子2人に恵まれています。
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温度のバリアフリーで老後の暮らしに安心・安全を

中島さんは長野市の中心部にも二世帯住宅を持ち、一時期は長男一家と同居していました。その後、小布施の本宅に中島さん夫婦が移ります。さて、これからの暮らしのために新築・改築を考えて長野か小布施かと迷っていたところに、次男が現在地に新築。須坂市の企業に夫婦揃って勤務するので、アクセスのいい父祖伝来の地を選びました。ならば、皆で一緒に暮らそうと小布施の本宅を建て替えることに決めました。
1階は座敷も洋間もほぼフラットのバリアフリー。トイレも浴室も広く、中島さん夫婦のプライベートゾーンの洗面台は車椅子でも使えるタイプを選びました。廊下幅をうんぬんするまでもなく、どこも一般住宅より広く、車いすでぐるりと回れる間取りです。
「なにより、これからの生活にふさわしいのが温度のバリアフリーです。温度差によるヒートショックの心配がありません。昨年11月から暮らしていますが、家じゅうどこも心地よい暖かさで、しかも暖房にファンヒーターのような風を感じないのはいいですね。長野の家は床暖房でしたが、光熱費はこちらのほうが安くて、しかも快適なので驚きました」(中島さん)

お互いを尊重しながら気遣うべきところは気遣う

次男が別宅なのだから、長男も敷地内で別宅にするという案もありました。
「将来、夫に先立たれたとき、別宅では一人暮らしのようになって淋しい」
奥様の陽子さんの思いから、長男夫婦と共に暮らす二世帯住宅を建てることにしました。
「昔は二世帯が一緒に暮らすのは当たり前でした。資金に制約があったので、風呂や台所を二つ作るなんてことは考えもしませんでしたが、今は二つ作るお宅も多いですね」(中島さん)
「私自身、長く義両親と同居してきましたから、子世帯の気苦労はよくわかります。お勝手もお風呂も一緒でしたので、お風呂に入りたくても好きなときに入れるわけではありませんし、好きなときに食事というわけにもいきません」(陽子さん)
そこで新居は台所や浴室は別にしました。玄関は同じで、内階段で1階と2階がつながっています。取材中も、ご長男がお子さんを連れて「ただいま」と帰宅し、そのまま1階でおしゃべりが始まりました。
「二世帯住宅は分けるところとくっつけるところを良く考えて作るのが肝心です。『二世帯住宅はどこかで気を遣う』と言われますが、生活を別々にしても、むしと気を遣うところは遣ってもらいたい。別々に暮らそうと思えば暮らせるわけですが、それではバラバラになってしまいます」(陽子さん)
それほど頻繁に10人が集まるわけではありませんが、ダイニングテーブルは6人がけと4人がけを特注。二つを寄せれば10人がゆったりと食事ができます。普段から10人がけのひとつのテーブルでは、向こう側に行くにも面倒なので、二つに分けたのがアイデアです。
「4人の男の孫が集まると、それは賑やかで、逃げ出したくなりますよ」と中島さんは贅沢なことをおっしゃっています。

明治8年築の家の記憶を留めて

「この家は3代も普請しなかったんです。旧宅は明治8年の建築。およそ140年前に建てられた70坪ほどの家でした。そのご先祖様は、分家に出た次男にも同じころ、同じくらいの家を建てたそうです。2軒も一度に建てたので、このあたりにある豪農というような建築ではなく、特に新居に組み入れたいような古材もなくてね」
そうはいっても、由緒ある旧家。中島さんは釘隠しとケヤキの無垢板を新居に移しました。銅の釘隠しは新品同様に磨かれて座敷に風格を与えていますし、ケヤキの板は寝室の縁側で時代感を醸し出しています。
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加えて中島さんが大切にしたのは、先代が35年前に庭師に作らせた庭。庭師が亡くなってからは、中島さんが自ら勤務のかたわら20年以上も手入れをしてきました。松1本の芽摘みでさえ4日は掛かる大仕事です。
家の裏手には、大きな柿の木が枝を広げています。新築の際には、この木を優先。木をよけるようにして、設計しました。中島さんの手で見事に摘果されて、実りの姿が楽しみになります。秋には、2000個から3000個も採れる実で干し柿を作り、美しい柿すだれが軒下を飾ります。
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小布施にふさわしい縦格子をモチーフにした邸宅が、雁田山の借景や庭に調和しています。何度も振り返りたくなる風景です。勧められて、小布施の景観認定に応募しており、秋の結果発表を心待ちにしています。
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