Vol.21新年号
寺澤 光治さん【千曲市】

34年間連続で黒字決算 時代と身の丈に合わせた堅実経営

食品卸の(株)信州物産は起業以来、現在まで34年間黒字決算を続けてきた優良企業です。社長の寺澤光治さんに、堅実経営の秘訣を伺います。
あわせて、寺澤さんの義父で、現在もジャズピアニストとして活躍する唐澤淑郎さんのすてきなシニアライフをご紹介します。

赤木圭一郎を偲びホームシアターで上映会

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寺澤光治さんのお宅をお訪ねして、まず案内されたのが巨大なホームシアターです。壁には往年の日活スター「赤木圭一郎」のポスターがずらり。無借金経営を誇る企業家と聞いて堅い人物を想像していたのですが、開口一番に「昔からよく赤木圭一郎に似ているって言われるんです。もちろん自分でもそう思います(笑)」。
実は寺澤さんは赤木圭一郎の大ファン。全国組織の「赤木圭一郎を偲ぶ会」にも属しています。端正な顔立ちとアンニュイな雰囲気を備えた赤木圭一郎は、「拳銃無頼帖」シリーズや「霧笛が俺を呼んでいる」などのヒット作があり、わずか21歳で自動車事故で他界。
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死後半世紀を経た今もファンの心をとらえて離さない伝説的なスターです。寺澤さんは赤木圭一郎が亡くなって間もない昭和38年に上京。赤木圭一郎を偲び、神奈川大学の貿易学科に入学、横浜で大学生活を送りながら、多数の映画にエキストラとして出演しています。「田所健二」という芸名も持ち、赤木圭一郎の最期に立ち会った宍戸錠らアクション俳優に親しんだことも。「俳優になりたかったけれど、日活じゃだめだと思ったね。背丈が足りない。悔しかったけれど、今思えばそのおかげで今日があるんです」
横浜界隈でバーテンダーのアルバイトをしながら、映画俳優をめざした若き日。寺澤さんが赤木圭一郎を語るとき、心に自らの青春をだぶらせるのか、いつまでも話は尽きません。
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観光土産として販路は全国へ

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映画俳優を断念した寺澤さんは大学卒業後、東京で商社に就職。営業手腕を磨いたのち、31歳で故郷に戻って食品会社で働きます。まだ高度成長期の余韻が残る時期で山菜が高級珍味として珍重されていました。国内では山菜の採取量が少ないなか、日中国交正常化に伴って中国からの山菜の輸入が始まり「もう爆発的に売れた」とのこと。
その時流に乗って独立し、昭和54年7月、34歳で起業。食品卸業として当初は業務用を扱いましたが、「ブローカーの薄い商いでは先が知れている」と悩んだ矢先、日光を訪れていたときにひらめいたのが観光土産。
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電話帳を見て片っ端から飛び込み営業を掛けていきました。また、観光業界の専門紙が主催する観光物産展に毎年出店してきました。
「どうにかこうにか知名度を上げ、あとは営業力。日本中の観光地で、手頃な価格と内容の土産品が求められている時代でした」
会社の基礎はできたものの、その後、景気が陰り、長い低成長時代が続きます。そんななかで、信州らしさを意識し、寺澤さんのアイデアで商品化したのが「そばの実なめこ」。そばの実となめこの組み合わせはありそうでなかったもので、今もロングセラー商品となっています。

健康志向を先取り無借金経営を続ける

時代はさらに本物志向、地産地消が叫ばれるようになり、全国どこでも中身は同じような観光土産の売れ行きは陰ってきました。そこで、目を付けたのが健康志向。まず取り組んだのが「黒ゴマきな粉」です。アンチエイジング効果が高いという黒ごまと、女性ホルモンに似た作用があるという大豆(きな粉)を混ぜたもので、牛乳などに加えて手軽に飲むことができます。これは女性に大人気で、すでに発売して14年になります。
現在、最も力を入れているのが「畑のお肉」。大豆油を絞った後の大豆たんぱくの加工品であり、肉の代替品として低カロリーのタンパク源として人気を博しています。唐揚げにすれば見た目も味も鳥の唐揚げそっくり、ミンチ状のものをハンバーグにしても食感が優れ、これからもっと伸びていきそうな商品です。
ところで、レシピや食品の組み合わせは、その性質上、著作権や特許を取ることはほぼできません。「ヒットすれば必ず真似されて、それを防ぐことは不可能です。だからこそ、売れ筋を見極めて早く始めることが大事なんです」と寺澤さんは話しています。
現在、商工リサーチのデータを見ると、信州物産は概況にこう記されています。
「企業業績は黒字体質が築かれており、創業以来、赤字決算は一度もない。保有現預金は有利負債を上回っており実質無借金」現状維持すら難しい企業が多いなか、黒字体質の経営は2013年に35周年を迎えようとしています。
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近所に住まわれる義父もジャズピアニストとして活躍中

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寺澤さんのお宅には、2階のホームシアターに容易に上がれるように、エレベーターが設けられています。これはご両親への配慮からです。寺澤さんご夫妻は近所に住まわれるご両親を頻繁に招き、2階のホームシアターで一緒に映画鑑賞をしているのだそうです。驚いたのは、81歳と80歳のご両親のお若いこと。表情はイキイキとしてとてもおしゃれ。いわゆる年寄りじみた雰囲気というものがありません。お父様の唐澤淑郎さんに若さの秘訣を伺うと「苦労をしないこと。苦労をすると病気になったり年を取ったりします」。
唐澤さんは稲荷山の洋品店に生まれ、昭和25年に上京。才能を発揮して演奏活動を行い、両親を呼び寄せて原宿に家を建てるほど成功。34年に帰郷して、権堂の名門クラブ「ニューゴンドー」、上山田温泉の笹屋ホテル、ホテルメトロポリタンなどで長年ピアノを弾いてきました。NHK長野FM放送で長年、ジャズのレコード解説も行っています。
「自分から売り込みに行ったことは一度もないんです。その場で精一杯を尽くす、お客様のお好みの曲を弾く、それだけを心掛けてきました。仕事が途切れたことがないのは、いい時代だったんですよ」
そういう唐澤さんですが、長野の地でプロのピアニストとしてやってこれた例は他にはないでしょう。平成23年の音楽活動60周年記念コンサートでは、千曲市更埴文化会館あんずホールに満場の聴衆が詰めかけています。
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また、唐澤さん夫妻は、老後の楽しみとして音楽スタジオを併設した喫茶店「風雅」を構えています。店内は昭和の喫茶店文化がそのまま残されているような懐かしい雰囲気。コーヒーをいただきながら、ピアノ演奏のリクエストも可能です。まったく譜面を見ることもなく次々と曲目を演奏し、まるで体のなかからメロデイが湧き出してくるように穏やかにピアノに向かう唐澤さん。それを見守りお客様に気を配る奥様。豊かなシニアライフのお手本を拝見したように思います。
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