Vol.23夏号
北川 智さん【信濃町】

豊かな自然の中で 時代に合わせた魚ビジネスを営む

北信五岳の山々に囲まれ、豊かな自然環境に立地するフィッシングセンター北川遊魚。広い敷地のなかに釣り堀と食事処を備え、ゆったりと寛ぎの時間を過ごすことができます。穏やかな水辺の風景ですが、時代の変遷に応じて川魚の養殖・出荷から釣り堀へ転換し、洪水で被災する困難も乗り越えてきました。北川遊魚のオーナー・北川智さんにお話をうかがいます。

清らかな水でニジマスを養殖採卵から出荷まで奮闘の日々

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北川さんが現在の場所に、住まいを移したのは昭和39年のこと。もとは同じ平岡原地区の集落にある、築百数十年もの父祖伝来の家に住んでいました。北川さんは川魚の養殖を始めたいと考え、ここを通るたびに、周囲に人家がなく水が豊富なこの場所に目を付けていたのです。水は、黒姫山と戸隠山の水を集めて流れる鳥居川の清流を使うことができます。
しかし、その場所は草が人の背丈以上も生い茂る湿地。いくらロケーションが良く水が豊富でも、ここへ自宅を新築することには、両親も奥様も大反対でした。それを何とか説き伏せ、新築した自宅で養魚を始めました。ニジマス・イワナなどのほか、観賞用の金魚や熱帯魚を養い、その水槽などの飼育用品も販売。当時、高度成長のまっただなかで観賞魚は大ブーム。北川さんは東京などへ熱帯魚を仕入れに行き、仕入れても仕入れても売り切れる状態でした。
もともと自宅として建てた家はスペースが足りなくなり、「金魚のお宿」などを増築に次ぐ増築。それでも足りなくなり、10年後の49年に、自宅兼用の100坪の家を新築しました。
このころは川魚の養殖も順調でした。大手地元スーパーへニジマスを出荷して、多いときには一日に3000~4000尾、少なくても数百尾を出しています。しかも、今ではどこの養魚場でも稚魚を購入して養殖していますが、当時、北川さんは採卵から始めて稚魚も自分で生産していました。稚魚が生産できるのも、きれいな水が豊富にあるおかげです。
奥様は「ものすごく忙しくて、いつ眠ったのかもわからないくらい」と当時を振り返ります。「あまりに忙しいので、出荷するのではなく、お客さんに来てもらうことを考えて、少しずつ釣り堀用の池を作っていきました」(北川さん)

大型店の台頭で商売の潮目が変わる

大量の注文をこなす毎日でしたが、ある日突然、注文が途絶えます。北川さんはスーパーの幹部に掛け合いますが、いくら待っても注文は再開されません。調べてみると、県内の別の産地から低価格で仕入れていることがわかりました。信濃町のほうが冷涼で身の締ったニジマスが育つのですがそちらの産地のほうが生育が早く安価で出せるのです。
「買い叩かれるくらいなら、釣り堀のお客さんに喜んでもらおう」
出荷分のニジマスもどんと釣り堀に投入したので、よく釣れるとお客さんの間で評判になります。「夜が明ける頃から、日の暮れるまで」釣り堀のお客さんが絶えることはありませんでした。
一方、観賞魚や水槽などが量販店やホームセンターで驚くほど安く販売されるようになり、とても個人の店では太刀打ちできなくなります。また、観賞魚ブームはやがて下火になっていきます。
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時間消費を楽しむ時代満足のいく釣り環境を作ろう

今では広く普及した週休2日制は1980年代に始まりました。
「ちょうど30年くらい前でしょうか。週休2日制が始まり、これからは皆さん時間に余裕ができ、のんびりと釣りを楽しむ機会も増えるのではないか。それには小さな池ではつまらないから、大きな池を作ろう」
周囲にはそんなに大きな池を作っても採算が合わないと言われましたが、北川さんは初志貫徹。それが、今4つある釣り池のなかでも今一番売上を上げている「遊楽の池」です。釣り堀の概念を越えた大きさでブラウントラウトやブルックトラウトもいるルアー・フライ専門の池です。
「たとえ、たくさん釣れなくてもお客さんに満足して帰ってもらいたい。ひと時を自然と向かい合い心地よく過ごすのが、釣りの醍醐味。それにふさわしい環境を提供したいのです」
平坦な敷地に池を掘った残土で築山を築き、石や植栽を配し、東屋を置くなど、ガーデンと呼びたくなるような景観を作りあげました。
遊楽の池と同時期に、屋根のついた屋内池も作りました。雪深い信濃町で、池の水が凍らず、北川遊魚が通年営業できるのもこの屋内池のおかげです。冬場、野尻湖にワカサギ釣りに来た人が、「ここは温かくていい。釣りの穴場」と立ち寄っていくことも。
実は6月の取材時、大雨に見舞われましたが、屋内池で快適に釣りを楽しむことができました。
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食事処を充実して「北川養魚」から「北川遊魚」へ

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川魚は釣ってすぐにその場でいただくのがもっとも美味です。北川遊魚でも飲食の場を持っていましたが、独立した食事処として店舗を新築したのは昭和59年。娘さんが調理師の資格を持つご主人を射止め、実家に入ることになったのです。
「お客さんに豊かな時間を過ごしてもらうには、食事も充実させなくては」
庭を見下ろす眺めのよい店舗には座敷を設け、50人程度の宴席にも対応できます。送迎用のマイクロバスも備えました。
この年、屋号も「北川養魚」から「北川遊魚」に改称。若夫婦へのバトンタッチの気持ちを込めています。

鳥居川の氾濫で甚大な被害

平成7年7月、集中豪雨により鳥居川が氾濫して激しい濁流があたりを襲います。いち早く避難したので北川さん家族は無事でしたが、戻ってみれば「養魚場は跡かたもない」ありさま。お盆の出荷に備えて、池いっぱいに仕込んであったニジマスやイワナはすべて流されてしまいました。
「需要が減っていた養殖は、被災を契機にぐっと縮小。観賞魚もやめて、釣り堀を主力にしていこうと心を決めることができました」
せっかく丹精して作った釣り堀も大きな被害を受け、復旧には大変な労力を要しました。
その後、この災害を契機に鳥居川は護岸工事が進み、大災害は起こっていません。

研究熱心なお父さんが選んだホクシンハウス

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平成23年、孫の結婚を機に自宅を建て替えました。長野でアパート暮らしをしていた二人が実家で暮らすことになったのです。
ところで、奥様が「お父さんは発明家」というように、北川さんは何事も研究熱心。ストーブの上にラジエーターを置いて簡易な床暖房を敷設したり、払い下げられた火の見櫓で大きな回転看板を作ったり。しかも重機を扱えるので、知人から巨大な倒木を譲り受けて東屋を作るなど朝飯前。今までいくつもの普請をしていますから、縁の深い建築業者もいます。それでも、北川さんが選んだのはホクシンハウス。高気密高断熱の工法に注目し、温かい家であることはもちろん、湿気に負けず、小動物や虫の侵入も許さない家ができると確信していたのです。
今、北川さん一家は3世代6人。親夫婦と娘夫婦が北川遊魚を切り盛りし、孫夫婦はそれぞれの仕事を持ち、時に応じて家業を手伝います。一つ屋根の下で、新たな家族の絆を育もうとしています。
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