Vol.19夏号
西原さん【上田市】

第二の人生を 被災遺児のために役立てたい

東北大震災から1年以上が過ぎようとし、人々の関心も当初よりは薄らいでいるようです。そんななか、西原光男さんが発起人となり、被災遺児支援のためのチャリティコンサートを8月8日に開催します。62歳で東京の暮らしに終止符を打ち、郷里上田にホクシンハウスを建てた西原さん。いま、仲間とともに熱い思いでコンサートの準備を進めています。

上田市文化会館でコンサート開催

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「コンサートを開催するなんて全く初めてで戸惑うことばかりでしたが、思いは届くものですね。いろいろな方がご協力くださって、むしろ私のほうが支えられることに感謝でいっぱいです」
とても還暦過ぎとは思えないイキイキした表情で西原さんは話します。東日本大震災復興支援コンサート「第1回 君にとどけinうえだ」の売上はあしなが育英会に寄付され、震災孤児のよりどころとなる東北レインボーハウス(仮称)の建設支援に当てられます。また、上田市に避難している被災者42世帯100人を招待する予定です。
出演は岩手県大船渡市出身のシンガーソングライター、濱守栄子さん。CDの売り上げの半分を被災者支援に寄付してきた方です。加えて東京エレクトーンキッズとして11歳から15歳の3人が出演。西原さんの奥様、邦子さんが都内で主催するエレクトーン教室の生徒であり、数々の受賞歴を持ち、すでにイベント等で活躍中。避難世帯の子供たちを励まそうと手弁当で出演します。また、地元の合唱団体が力強い歌声を響かせます。
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同コンサート実行委員会の委員長は、上田市教育長を務める小山壽一さん。発起人の西原さんの思いに賛同し、異例の協力を申し出てくださいました。また、コンサート会場の垂れ幕や横断幕は沖縄の業者が無償で作成。
「いるんですよ、探せば。復興支援のために動いてくれる人や会社が。私の身勝手な動機で始めたことなのに、志を同じくする人がいる。もうびっくりするやら感動するやら」
加えて寄付金を寄せる個人、パンフレットを置いてくれる店舗など多くの善意が集まり、コンサートの準備が進んでいます。

水と食糧を持って陸前高田へ

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2011年春、西原さんはそれまで東京都小平市で営んできた美容業の会社を子息に譲り、上田市の実家を建て替えて、そこで第二の人生を満喫しようとしていました。憧れの野菜づくりをしようと250坪もの畑も用意。そのとき、発生したのが東北大震災です。
「このタイミングですから、これはもう天命だと思って被災地へ行きました」
現地の社会福祉協議会やNPOと連絡を取り美容師としてボランティアカットを始めます。まずは5月に自分の水と食糧を持ち、一人で陸前高田の避難所へ。あまりの惨状に声を失い、できるだけたくさんの人の力になろうと奮闘。食事の時間を惜しんで、カップラーメンをそのままかじるほどでした。
「がんばりすぎてクタクタになり、帰ったときにはもう二度と行くもんかと思いました。ところが、待っている人がいると思うと、また行きたくなるんです」
 6月には「避難所を出て仮設住宅へ移る。いつまでもメソメソしてはいられないから髪を短くして気分を変えたい」という人たちの髪を整えることが多くなりました。
 そのまま毎月、ボランティアカットを続けるつもりでしたが、9月に中止。復興が進むなか、現地の美容師の仕事を奪うことを避けるためでした。

親を亡くした子供が「大人になったら人の役に立ちたい」

ボランティアカットをしているとき、心に残ったことがあります。被災から2ヶ月後、両親を亡くした中学1年生と小学5年生の兄妹の髪をカットしました。髪を切りながら、相手をリラックスさせるように言葉を掛けます。妹はショックのあまり口もきけない状態でしたが、兄は「僕、大きくなったら、自衛隊に入って人の役に立ちたい」。
 西原さんはその言葉に涙し、「この子たちを支えたい」と強く願ったことがコンサート開催のきっかけです。寄付をしてもどこでどう使われたのかわかりにくいなか、寄付先はあしなが育英会としました。阪神淡路大震災で神戸レインボーハウスを建設し、約500人の被災維持の心のケアを行なっています。今回、約2000人の遺児のため東北には5~6カ所のレインボーハウスが必要で、その建設支援のためにコンサートを行います。
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高校1年生で父を亡くし母に支えられる

西原さんは東京で自社ビルを持って美容室を経営し、弟子にのれん分けをした姉妹店も2店舗あります。事業を子息に譲り、「好きなことをして故郷で暮らす」ことが可能な人生の成功者です。「時代と人に恵まれた」と言いますが、実は高校1年生のときに父を亡くし、苦労を重ねてきました。
高校卒業後、美容師を目指して身一つで上京。見習いとして入った美容室の月給は世間並の初任給の半額6,000円で4畳半一間・共同トイレのアパート代が6,000円。
「母が仕送りをしてくれていたんです。けっして自分の暮らしも楽ではないはずなのに、文句ひとつ言わずに」
閉店後、アパートに戻ってもお腹が空くばかりなので、毎日2時間、店に残って個人的に練習。これが技術の向上につながりお客様に指名されるようになります。常連客が徐々に増え「西原さんは腕がいいから」と独立を勧めてくれたのもお客様です。そのお客様に居抜きの物件を紹介されて、初めて店を持ったのが「金はないけれど、情熱だけはある」24歳のとき。その後、30人弱のスタッフを抱える美容室に発展していきます。
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故郷に戻り、充実した人生

コンサートを開催するにあたり、頼ったのは高校時代のサッカー部の友人たちでした。「最初は反対されたんですが、西原がそんなに言うならと、本気になってくれました。そのおかげで、上田では何の信用もない自分に皆さんが協力してくれるようになったのです」
西原さんにはもう一人、強力な支援者がいます。それは奥様の邦子さん。浅草生まれの江戸っ子でありながら、田舎暮らしに賛同。
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今はエレクトーン教室やバンド活動など週の半分を都内で過ごし、半分を上田で暮らしています。西原さんがボランティア活動に打ち込めるのも、邦子さんの理解があればこそ。お互いのフィールドを持ちながら寄り添って暮らす素敵なご夫婦です。
お宅は北国街道沿いの古い街並みの残る場所。そこにあった築150年の実家の古材を新居に活かし、家族の伝統と歴史に包まれながら暮らしています。
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