Vol.18春号
栗原さん【立科町】

日本の暮らし、わが家の歴史を 新しい家に受け継いで暮らす

昨今は利便性を追求するあまり、日本人が大切にしてきた暮らしの文化が忘れ去られようとしています。そんな中、立科町の栗原美喜子さんは、築158年もの自宅をホクシンハウスに建て替えるにあたり、両親や祖先の思いを繋ぐべく、柱や欄間(らんま)などを再活用しました。茶室を備えた新居で、高齢のお父様を見守りながら家業のりんごづくりに取り組んでいます。

築158年の家の梁や欄間を見事に新居に活かす

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栗原さんのお宅では、現存する位牌に天保や嘉永といった年号が読み取れます。栗原家は少なくとも江戸時代後期まで遡るこができ、建て替える前の旧宅は築158年になることが分かっています。この家で、美喜子さん自身もそのお母様も生まれ育ってきました。どっしりとした太い柱や梁が支える典型的な農家建築です。由緒ある家屋ながら、冬場は家の中で息が白く見えるほど寒く、高齢のご両親の健康のためにも、美喜子さんとご主人は建て替えを決意。外断熱の暖かい家を探すうちに、ようやく巡り会ったのがホクシンハウスです。
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2010年3月に完成した新居は、オール電化とし建坪約65坪。床下のエアコンだけで家中の温熱環境を保つなど優れた住宅性能を実現する一方、今までの家の雰囲気を最大限に取り入れました。仏間や茶の間は旧宅と同様の配置とし、受け継いできた仏壇や神棚を設けています。随所に旧宅の古材を活かし、手斧(ちょうな)の跡が残る太い梁を化粧梁に、通し間の欄間は階段の手すり部分に、また、座敷の書院は主寝室脇の小部屋の窓に、飾り障子は玄関の装飾にという具合です。
「古材にあわせて窓の大きさを変えてもらったり、工事中の変更で無理に古材を使ってもらったり。こんな大変なことをよくやってくれたと感謝です」(美喜子さん)

大正生まれの母の思い母を思う娘のこだわり

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美喜子さんご夫婦がホクシンハウスに心を決めてから、新居が完成するまでになんと7年の歳月を要しました。お母様にとって自分が生まれ育ち、愛着の深い旧宅を壊すことはどうしても受け入れ難いことだったのです。誰がどう説得しても全く聞く耳を持たず「好きなところへ新しい家を建てなさい」と。栗原家には他にも土地があり別の場所に新居を建てて若夫婦だけ移るのは簡単です。しかし、美喜子さんもこの家で生まれ、愛着の深さは同じ。「もとの家と同じ場所で同じ風景を見て、同じように親を大切にして皆一緒に暮らしたい」と、じっと待ち続けました。
「もう家を建て替えることはできない」と諦めかけたとき、「家には建てる時期というものがある。頑張って建てろや。なんとかなる」というお父様の言葉に背中を押されます。
解体工事が始まって、水や電気が止まってもお母様はがんとして旧宅から動きません。
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解体業者も無理をせず、解体中に土壁の下地に見つけた大正時代の新聞をお母様に見せたり、古い瓦も鬼瓦など選んで取り置くなど、できるだけお母様の気持ちに寄り添おうとしました。ろうそくを灯して夜も一人で頑張っていたお母様もやがて自分で別棟へ移動。
「母は頭では分かっていたんです。自分で蚕を育て、糸を紡ぎ、織った着物など大切なものはそっと別棟へ運んでいたくらいです。ただ、どうしても気持ちが付いてこなかったのでしょう。母の気持ちを思うと、今でも涙が出ます」(美喜子さん)
心を尽くし旧宅の面影をうつした新居には、とうとうお母様は住むことはありませんでした。仮住まいの別宅に暮らし、新居完成の翌年、98歳で大往生を遂げられました。最後まで自分のことは自分でして、介護らしい介護もさせなかった方ですが、「万が一にも家を汚してはいけない」という思いが強かったのではないかと、美喜子さんは気骨あるお母様を偲んでいます。

父母が守り育てたりんご園を引き継いで

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栗原家は立科町に代々続く農家です。明治以降昭和初頭の大恐慌までは、大きな規模で蚕を飼う養蚕農家でした。その後、昭和の中頃から、栗原さんのご両親はりんごを栽培してきました。立科町のりんごのなかでも特に「五輪久保のりんご」として、そのおいしさが知られるブランドりんごです。
ご両親は大変夫婦仲がよく、二人で助け合ってりんごを栽培。一人娘の美喜子さんは「農業より外へ働きに出たい」とデイサービスセンターへ勤め、繁忙期にはご両親は娘には頼らずに人手を頼んでしのいできました。
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10年ほど前、さすがに高齢のご両親を見かねて美喜子さんは仕事を辞め、りんご農園を手伝うようになります。それでも、農園の一部を人の手に委ねたり、木を切ったりして規模は縮小せざるを得ませんでした。今はお父様も農作業はできなくなり、ご主人は会社に勤め、美喜子さんは一人でりんご農園を守っています。
「忙しいようでも、勤めを持っていたときに比べれば時間の裁量は自由にできます。それに室内での仕事と違って、季節や天気の移り変わりが直にわかりますから、自然の恵みを感じられるのです。父や母もご先祖様たちもこうして自然の恵みを受けて働いてきたのだなあと実感します。心豊かな時間が過ごせるようになりましたが、農業は経済的には大変ですから、少しの蓄えも大切にしていかなくては。亡き母がお米を研ぐときに、一粒の米も無駄にしてはいけないと私を厳しく仕込んでくれたことを思い出します」

本格的な茶室を備えて心豊かな時間を過ごす

美喜子さんは華道の草月流の師範でもあります。伝統文化に思いが深く、勤めを辞めたことをきっかけに、この10年は表千家の茶道に打ち込んでいます。
「お茶は総合芸術。掛物やお道具などの鑑賞から始まり、室礼、懐石料理、着物など伝統文化を楽しむ奥の深いものです。千利休から400年も形が崩れずに続いて来たものですから、お稽古をするたびに新しい発見があって、本当にお茶をしていてよかったと思います」 
お茶を嗜む人なら、誰もが憧れるのが自分の茶室。美喜子さんは別棟に炉を切って茶室としています。今回は「ああしたい、こうしたいが山ほど膨らんで」2つめの茶室をしつらえました。何度もプランを書き直し、打ち合わせに1年を掛けました。
いまや、建築業者としても茶室を造る機会はめったにありません。しかも茶室には細かい決まり事が多く、流派によっても違います。
「釘一本も表千家と裏千家では違うそうです。私も知りませんでしたが、現場監督が確認してくれて、これには驚きました」
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こうしてできた茶室を恐る恐るお茶の先生に見ていただいたところ、素晴らしいと褒められ、うらやましいとまで言っていただいたそうです。

家の歴史や思い出を継承しつつ、日本の文化を大切に育まれている栗原さんご一家をご紹介させていただきました。
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