Vol.25新年号
小川 隆司さん【長野市】

人生の荒波を乗り越えて「音楽を一生続ける」

バンド活動に熱心な音楽少年たちが、大人になっても夢をあきらめないで仲間と共に音楽活動を続けるおやじバンド。小川隆司さんは、2013年12月のおやじバンド・フェスティバルで準グランプリに輝いたエーミ&ロケッツのメンバーです。同年5月にホクシンハウスで新築したばかりの小川さんのお宅で、音楽とともに歩んできた山あり谷ありの人生模様をうかがいます。

おやじバンド・フェスで 準グランプリ獲得

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シーナ&ロケッツやエアロ・スミスの曲を華麗にアレンジし、金髪ヘアや真っ赤なジャケットで熱いパフォーマンス。エーミ&ロケッツは「2013おやじバンド・フェステイバル in NAGNANO」で聴衆を大いに盛り上げ、準グランプリに輝きました。エントリーした52バンドから、音源審査や予選ライブを勝ち抜いて、ホクト文化ホール大ホールの本選に臨んでの快挙です。
エーミ&ロケッツの平均年齢は48歳。ベースを担当するのが小川隆司さん(1961年生まれ)です。小川さんは東京からUターンしてすぐに、リアル・ミッションという男性3人のバンドを組み、すべてオリジナル曲でもう10年以上活動しています。このバンドでは小川さんは、ボーカルとベースを担当し、艶のあるシャウトが魅力です。高校の後輩でもあるエーミさんがリアル・ミッションのライブを聞き、打ち上げ会で「私も歌いたい」と言ったのをきっかけにエーミ&ロケッツを結成。わずか1年少々で準グランプリ受賞です。その前からライブハウスJやジャンクボックスなど、長野市内のライブハウスに出演してもいます。 「ステージは最高。いつも気分がいいよ。自分たちが楽しんでないと、お客さんにも楽しんでもらえないから」(小川さん)

まさかのボランティア活動で 人生の伴侶と出会う

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「結婚するときに『一生、音楽をやるよ』と言われたのが印象に残っています」
奥様の靖子さんは隆司さんの音楽に対する思いをこう表現します。おやじバンド・フェスでも、客席最前列でノリノリに踊っていた靖子さん。ファンとして愛が芽生えたのかと思いきや、「最初は音楽をやっているなんて全然知らなかった」
2000年頃、隆司さんの友人の息子さんが重い心臓病を患い、米国での心臓移植しか生命を救う方法がない状態でした。隆司さんはその費用6000万円を集めるべく、仲間と共に募金活動に立ち上がります。そのとき、別の友人ルートでボランティアに加わったのが靖子さんです。 「私もたかちゃん(隆司さん)も、募金することはあったとしても、募金を集める側に回るようながらじゃないんです。私は祖父が亡くなったばかりで、救える生命は救いたいという思いでしたし、たかちゃんも友人の息子さんということでほっとけなかったのでしょう」
二人は事務局の一員として、チャリティイベントを仕掛けたり、街頭で募金活動をしたり。見事に目標額の資金が集まり、米国での手術は成功。その息子さんは元気を取り戻し、2005年の小川さんの結婚式では本人・両親揃って門出を祝ってくれました。現在、彼は中学3年生になり、高校受験に向かって受験勉強真っ最中です。 「そんながらじゃない」と言いながら、友人の子どものために力を尽くした隆司さんと靖子さん。やさしい心がお互いを引き寄せあったということでしょうか。

アントレプレナー賞受賞の青年起業家

小川隆司さんは、中学時代からバンド活動に憧れ、高校時代には生徒会副会長として文化祭でライブを企画し、自ら演奏。ライブ活動の第一号として、母校の後輩にライブの道を開いたと自負しています。
高校卒業後は、東京の大学へ進み、やはりバンド活動に明け暮れますが、自分がプロとして演奏活動をするのは難しいと考え卒業後は音楽企画会社へ就職。ここでライブハウスの店長を務めたり、新人バンドをデビューさせ、初シングルをリリースするディレクター的な仕事も経験しました。
その後、米国でヒーリング音楽を聴けるリラクゼーション機器が開発されたことを知り、友人と2人で会社を作って独立。ロスアンゼルスからリラクゼーション機器を輸入して、北海道から九州まで全国に販路を開拓しました。好景気に沸く時代を背景にスポーツクラブやエステサロンに次々と納品していきました。従業員100人以上もの企業になり、小川さん自身もアントレプレナー賞を受賞するほど注目される存在となります。28歳の時の写真を見れば、オールバックのヘアにダブルのスーツというスタイルが、当時の青年起業家の雰囲気をよく伝えています。
ところが、間もなくバブルは崩壊。しかも出資してくれていた企業と銀行の不祥事が発覚し、それをきっかけに倒産。小川さんは負債こそ被らなかったものの、すべてを失ってしまいます。
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庭師を本業に 長野でバンド活動再開

失意のどん底で、両親の元へ帰ったのは32歳のとき。父の敬寿(けいじゅ)さんは長く大手タクシー会社でドライバーを務めたのち、個人タクシーと庭師の二足の草鞋を履いていました。実直でていねいな仕事ぶりから、どちらにも固定客がついています。
父の紹介で、小川さんは大きな造園業者のもとで庭師の修業を積み、やがて安定的に仕事ができるようになっていきます。 「何がやりたい、何ができるではなく、目の前には庭師しかなかった。無一文状態ですから、とにかく働かねば」
仕事が決まったところで、すぐに高校時代の友人たちとバンド結成。そこは幼なじみのいる故郷のありがたさで、音楽を取り戻したことで小川さんの心も癒されていきます。庭師の仕事ができない冬場は、志賀高原のスキースクールでインストラクターを務めるようにもなりました。
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ホクシンの暖かい家で 仲良し家族が暮らす

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東京から長野に戻って、はや20年。音楽を心の支えに暮らしを立て直し、ひとまわりも年下の靖子さんを射止めた小川さん。今まで心配を掛けてきた両親や靖子さんを幸せにしたいという思いから、老朽化した自宅を建て直そうとしていました。
父の敬寿さんが庭師として消毒に行った得意先で、たまたま建て替えの話をして、紹介されたのがホクシンハウスでした。家族4人で展示場に行き、たまたま「トイレを貸してください」と声を掛けた相手が相澤社長。親身になって相談に乗る姿に、全員がホクシンの家に憧れます。「建てたい、だけど資金が足りない」そんな思いを抱えながら訪れたのが須坂のオープンハウス。岡村真由美さんが自宅を開放してオープンハウスにしているもので、住んでいる人ならではの声が聞けます。岡村さんは自らの経験から、「お金はなんとかなる。少しがんばって本当に暖かい家に住むほうが安く建てて後から後悔するよりもずっといいのでは」とアドバイスしてくれました。 「自分たちには手が届かないと思っていましたが、相澤社長や岡村さんに背中を押してもらったからできた家です」(小川さん) 住んでみての感想は「本当に快適。暖かいから体がとても楽です。もう他の家には住めません。スタッフや職人さんの態度やチームワークもすごく良くて、建てている最中から感謝の思いで見ていました」
81歳にはとても見えないほどはつらつとしたお父さん、お料理上手で頼れるお母さん、明るく元気ではきはきした靖子さん、それをやさしく見守る隆司さん。お話を聞いていると、ほのぼのとした相性のよさが伝わってくる小川さんファミリー。おやじバンドの熱狂の裏に、こんな素敵なご家族がありました。
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