 キャンピングカーの前に立つ中野庄司さん、卓子さん夫妻 |
 震災で被害を受けた葛尾村が村を上げて会津坂下町へ。 会津坂下出張所として村役場の機能も移された
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福島県は、東日本大震災で甚大な被害を受け、今も不自由な生活を強いられている方々が沢山いらっしゃいます。幸い内陸部の会津坂下町は家屋が損壊するような被害を受けることもなく、以前と変わらない豊かな田園風景が広がっていました。被害の大きかった葛尾村が村を上げて避難し、坂下町のみなさんも大きな支援を行なっています。
中野庄司さんはこの会津坂下町に生まれ育ち、消防署長を長年務めて、今は悠々自適の暮らし。4年前に新築したご自宅は、断熱性能を飛躍的に高めても環境への負荷を最小限に抑える40cm厚のセルロースファイバーを利用し、高気密高断熱を極めた無暖房住宅です。
実は中野さんが10年間暮らした以前のお宅も高気密高断熱で「なかなかの住み心地」だったとか。
以前は、ご両親の建てた家が現在地にありました。昔の農家造りの大きな家で、各部屋に暖房機を置いていました。 「その家で母が祖母の面倒を見ていました。祖母は赤い炎が見えないと暖かさを感じなかったのでしょう。ファンヒーターに綿入れ半てんを掛けていました。そうすると酸素不足のせいで炎が赤く見えたのです」
そんな姑を残して、お母様は突然64歳で肺がんで亡くなりました。お母様は「部屋で火をたかないで済む家を造ってくんろ」と口癖のように言われたそうです。
そこで中野さんが家を新築しようとすると、今度はお父様が「思い出の詰まった家を壊さないでくんろ。この家がなくなれば、俺が俺でなくなってしまう」
そこで中野さんは別の土地を探し、新築を頼んだ相手は兄の同級生で、自身の「竹馬の友」でもある小林正幸さんでした。前の家には満足していましたが10年後、長男家族との同居と定年後の暮らしを考え、ご自身が生まれた家の建て替えをすることにしました。
 中野さんの家は約90坪。広々とした田園 地帯にあるせいか大屋根平家階建てに 見えるが、じつは2階建。
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「今度も迷わず小林さんに頼もう」
そこで小林さんは、さらに高性能な住宅を提案したいと考え、日本初の無暖房住宅を開発したホクシンハウスの相澤社長に相談、中野さんに紹介し建築の実現につながりました。
実は小林さんは相澤社長と若き日に住宅性能について共に学んだ仲だったのです。
小林さんは「米国デンバーへ省エネ住宅の研修に行って、たまたまホテルが同室になり夜通し語り明かして以来のつきあい」と話します。「相(アイ)ちゃんは最高の技術屋だよ。空気の質も温熱環境も一般の家とは全く違うから。健康で長生きしたかったら相(アイ)ちゃんに頼めと言いたいね。しかも、職人を安く使おうとする会社が多いなかできちんとしたペイを払っていい仕事をしてもらう。それができる経営者なんだよね」 「これからは省エネ住宅。お金が掛からなくて環境にやさしい。それで健康にいい。そういう家を造らなくちゃだめだ」と小林さんの住宅談義は止むことがありません。
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